幼稚さと理性

昨今、塾の講師が女児を殺害したり、母親を毒殺未遂やらバス代もらえずに父親殺害などなど、ニュースを見ると驚愕するような理由での殺害が多い。
「いなくなればいい」
「100円貸してくれないから」
そんな理由で殺害してしまうなんて理性のかけらもない。


犯人は犯行後の自分の姿を想像しているのだろうか?
理由と行動のギャップに幼稚さを感じる。このギャップはなんなんだ?と考え、妻と出した結論はこうだ。


子供のころ、意地悪なヤツに「あいつがいなければ、学校が楽しいのに。」と思ったことはないだろうか?
子供から大人になっていく過程で、人との距離感の取り方を憶えていく。
仲の良い友人とは距離を近くに、良くない友人とは距離をおく。
自分と友人の距離は、1人1人が異なる。
それをアナログ的に自然に対応することができる。
生活していく中で自然とマスターしてきたコミュニケーション。


しかし、最近インターネットの発達もあり、コミュニケーションの取り方が変わってきている。
バーチャルな世界では実にデジタルだ。
会話をするか、しないか。
気に入らない相手は、拒否の設定をすればいい。
自分の姿が相手に見られない場合も多いから配慮に欠ける発言が横行し、その中で相手の気持ちを思いやる心が育たない。


そんなことから、微妙な距離に位置する人に対するコミュニケーションがうまくいかないのではないだろうか。
リアルな世界だと拒否の設定は出来ない。
うまく交わすことができずに、真正面で受け止め、感情を正面からぶつけてしまう。
右から左へ流す術を身に付けるべきなのかもしれない。


何も相手に危害を加える必要は何もないのに。